いつも通る道ばたに一本の木がある。
近年道路にイガを落とすようになってそれが栗の木だと知った。
時期になると、通る人たちが入れ替わり立ち替わり
車をとめて栗拾いをしている。
私は、日に何度もそこを通る。楽しそうな人たちを横目に、
その時季は田んぼから乾燥小屋まで、
籾を積んだトラックで忙しく往復する。
私は栗には興味がない。後始末が大変そう。
そんな私に昨年、
知人が皮をむいて食べるばかりになった栗をくれた。
教わったとおりにご飯と炊くと、
レトルトの栗ご飯とは全く違う美味しさに驚いた。
今年もまたもらえるかな、などと図々しく思っていたある日、
たまたま通りがかった栗の木からイガが落ちる瞬間を見た。
期待もせずに見た足元の実が思いのほか立派だった
その瞬間から、私は栗に夢中になった。
栗は拾うのも面白いが、皮をむくのがまた楽しい。
皮むきにこれほど熱中するとは自分でも驚きだった。
手間がかかる分、仕上がったときの達成感が大きいのか。
この感覚は若い頃に夢中になった編み物の楽しさとよく似ている。
おかげで栗ご飯はもう三回も作った。
渋皮煮は大鍋に一杯。
皮むきに夢中になって、いまだに指が痛いのはここだけの話。